ふくろうの毎日一歩一歩

アラサー会社員のゆったりのんびりマイペースな雑記ブログ

忘れたくても記憶にこびりついてしまったから、教訓として覚えていることにした日のこと。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

記憶に残る日というと、「初めて何かをしてみた日」というのが多いと思う。

 

「初めて一人暮らしをした日」「初めて車を運転してみた日」など、自分の世界が新たに広がった日、新しい気づきがあった日が特に記憶に残るはずだ。

ポジティブな内容が多いと思う。

 

しかし、私にとっての「記憶に残っている、あの日」もある意味新しい気づきがあった日ではあるが、内容は非常にネガティブだ。

 

私の記憶にしっかり刻まれてしまった日は、人生で初めて、嵐のように理不尽なモンスタークレーマーに出会った日だ。

あの時受けた罵詈雑言はもう忘れてしまいたいが、何かにつけて心の隅っこがチクチク痛むので、学びと教訓として覚えておくことにした。

 

 

 

職場である日、電話をとった。

それはよくある、弊社の行っているサービスの申し込みの電話だった。

 

「予約をお願いしたいのですが。」

「お電話ありがとうございます。どちらのコースをご希望でしょうか?」

電話をくれたのは少し甲高い声で、雰囲気から察するに高齢の女性だった。

 

「今回はこれをお願いしたくてね。市役所の方にお宅で出来るってきいたのよ。」

そうして要望を話してくれた。

 

しかし、電話口で私は少々困惑した。

その内容は該当サービスの内容を勘違いしている上に、利用範囲外だったのだ。

女性は予約は必ずできるものとして、上機嫌で話を続けている。

 

困ったな・・・。

 

確かに類似のサービスはあるにはある。

市役所でできると言われたのは恐らくそちらの事。

しかしこの女性の言う内容は、似ているようで全くの別物のため取り扱いがないのだ。

公的機関が絡む内容なので、この女性一人を特別扱いすることは不可能。

事情を説明してお断りし、代案を提案するか。

そう決めて口を開いた。

 

「申し訳ありませんが、その内容では・・・。」

 

そう言いかけた途端、突然、

「なによ!!!役所ではできるって言われたのよ!お客を差別するつもり!!??」

電話の向こうから、甲高い怒鳴り声が耳に刺さった。

 

「そうではございません。実は・・・。」

「言い訳ばっかりして!」

言い訳も何も、まだ何も言っていない。

 

そこからは罵詈雑言が嵐のように襲ってきた。

 

「役所ができるって言ったの!それを断るなんてね、あなた何のためにそこにいるの?あなたの会社はお客を差別するって言いふらしますよ。ふん、そんなことはしませんけどね。だいたいね、そんなに社員がいるのにできないってどういうことなの。仕事をしないでお金をもらえるなんて結構なご身分ね。楽してお金もらっていい気になってるんじゃないわよ!」

(もっと直接的にひどい言葉もあったが書きながら悲しくなってきたので、ざっくりこんな感じ。)

 

最初はなんとか誤解を解こうとした。

でも、

「○○様のご要望の~というのは・・・。」

 

「~なんて言っていませんよ。あなた耳がおかしいんじゃないの?」

 

いや、今しがた確かに言ったじゃないか。

 

「ふん、私のせいにしようとしてもそうはいきませんよ!」

 

いやいや、そうではなくて・・・。

 

こちらの発言には一切耳を貸してもらえなかった。

私が何かを言おうとしても、途中で遮り暴言を浴びせてくる。

 

途中から、相手はどうやら電話口の私を貶めることに目的を変えたらしい。

 

内容もどんどん支離滅裂になっていき、会ったこともない電話口の私の人格を否定する言葉が増えていった。

しかし相手は、「あくまであなたのために言ってあげている」というスタンスのようだ。

 

私にも言いたいことは山ほどあったが、相手は腐ってもお客様。

理不尽でもまずは話を聞かなくてはならない。

 

耳を劈くような罵詈雑言を聞くこと30分。

途中、どんどん顔色が悪くなる私を心配して同僚が様子を見に来てくれた。

 

『大丈夫?』のメモに、『大丈夫です、ありがとうございます。』となんとか返した。

この気遣いが無ければ電話が終わるまでに泣き出していたと思う。

 

「申し訳ございません。上司に確認いたしまして、またご連絡差し上げます。貴重なご意見ありがとうございました。」

なんとか最後まで社交辞令を絞り出した。そうして電話は勢いよくガチャンと切れた。

 

やっと終わった・・・。

時計を見ると、電話を始めて早1時間が過ぎていた。

 

会ったこともない相手にこんなにひどいことが言えるのか。

私はここまで言われなくてはならないことをしたのだろうか。

 

 

涙が出るというよりも、茫然自失といった感じ。

 

萎える気持ちを奮い立たせて、上司に事の顛末を報告に行った。

上司から改めて電話をしてくれるとのことだった。

 

ちなみに後日談だが、上司から改めて電話したところ同じような様子だったらしい。

 

最初は偉い人が話を聞いてくれると上機嫌だったようだが、要望は聞けないと伝えた途端に爆発して、罵詈雑言を浴びせてきたとゲンナリしながら教えてくれた。

 

話が通じないと判断され、この女性は今後弊社を出禁になった。

 

 

あれから数年がたったけれども、いまだにこの日の嵐のような電話のことは忘れられない。

 

 

そして忘れられないなりに、この日から学んだことが2つある。

 

 

まず一つ目は「苦言と悪口の明確な違い」だ。

 

苦言を呈するということと、悪口を言うことを混同して考えている人、いるんじゃないだろうか。

この電話の女性もおそらく同じものとしていたのだと思う。

 

学生時代にサークルのリーダーを務める友人から、「後輩にもっとこうしたほうがいいと注意したいんだけれど、悪口を言っているような気がしてうまく伝えられない」という悩みを聞いた。

その違いについて、頭を悩ませられる、思いやりにあふれる友人である。

当時は私も正当な注意と、悪口の違いをうまく言語化できなかった。

 

しかし、あの日の電話を受けてから、その違いが自分の中で明確になった。

 

苦言を呈するときは事実ベースで話をしなくてはいけない。

感情に任せて、主観的なことをただただ羅列するのは悪口だ。

 

 

例えばちょっと時間にルーズで、行動が遅いサークルの後輩がいたとしよう。

その後輩に合わせているとサークル活動の時間がどんどん無くなってしまい、他のメンバーが苛立ちを感じている。

その中で、自分がその後輩に注意をしようと声をかけたとする。

 

この時、間違っても

「アンタ本当にノロマよね。ノロマな人なんていないほうがいいわ」

こんな言い方はしてはいけない。

注意するという意図があったとしても、これはただの悪口である。

 

苦言を言う前に今一度、相手の事情を確認しよう。

「ねえ、いつも遅刻しているけど大丈夫?何か困っていることはある?」

もしかしたら、何かやんごとない事情があるかもしれないし、こちらにも改善が必要なことがあるかもしれない。

そこは謙虚に思いやりを持ちたい。

 

そのうえで、時間にルーズなことに自覚がなく、迷惑になっていることに気がついていなかったら、やはり苦言を呈さなくてはならない。

 

この時は必ず事実ベースで話を進める。

 

「あなたは自分が遅刻していることを気にしていないみたいだけど、周りのみんなは気にしているよ。あなたに合わせて活動の時間がどんどん減っているの。大事な時間が浪費されてしまっていることを自覚して、もう少し努力してくれないかな。」

 

この時は感情的、主観的な言葉はいけない。

 

心の中で「時間にルーズなままでいたら、きっと将来大失敗するに決まってる」「時間にルーズなんてだらしない」というようなことが頭をかすめても口に出すと話が変わってしまうし、言われた側も余計なことで傷ついてしまう。

将来大失敗するかどうかはこの苦言には関係がないのだから。

 

自分の主観的な考えからの批判なのか、事実に基づいての忠告なのか。

この違いに気をつけないと不用意に相手を傷つけてしまう。

 

あの日の強烈な電話で、このことを深く実感して心に留め、今まで以上に言葉に気をつけている。

不用意に言葉の刃を振りかざしていい人なんて、いるはずがない。

 

 

そして、得られたもう一つの学びは「思考は言葉に、言葉は行動に、行動は習慣に」ということだ。

これはかの有名なマザーテレサの言葉である。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

 

 

あの日、甲高い声の矢継ぎ早の罵詈雑言を聞いている長い時間、ふと思った。

 

これは普段から罵詈雑言を使い慣れているんじゃないかと。

  

感情的になったときに、出てくる言葉ほどその人を表す言葉はないと思う。

言葉になるのならば、それは常に思考の中にあるのだ。

 

マザーテレサの言葉どおり、思考は言葉に、言葉は行動に反映される。

 

この電話の、酷い言葉を使う女性の運命が今後どうなるかは私には知る由もない。

別に、ひどいことを言われたから不幸になってほしいとは思わない。

 

ただ私自身が、自分の思考に、言葉に、気をつけていきたいと思うだけだ。

 

歳をとったときに、咄嗟に出てくる言葉は思いやりでありたいから。

 

 

苦言と悪口は明確に区別し注意すること。

思考には気をつけること。

 

 

それを深く実感して、日々言葉に、思考に、気をつけるようになったのだから、記憶にこびりついてしまったこの経験は無駄ではなかったはずだ。 

 

いや、無駄ではなかったと信じたい。

 

あの日ゴリゴリと削られた心のライフポイントが、ある程度回復するまでには1週間以上がかかった。

 

しばらく電話に出る声が震えそうになった。

 

似たような甲高い声を聞くと未だにゾワッと鳥肌が立つくらい、トラウマを負った。

 

無駄じゃないと信じておかないと、なんだか報われない。