ふくろうの毎日一歩一歩

スキルアップを目指すはずだったアラサー会社員の等身大の雑記ブログ。

【はてなのお題】おうち時間で若き芥川賞『推し、燃ゆ』を読んでみた感想。若者の作品は時代を反映する。

私は読書が好きです。

 

気になる本はたくさんあるのですが、読み始めるとひたすら読み続けて気がつくと徹夜してしまうことがあるので、平日はなかなか新しい本に手を出せないでいました。

 

今年のGWもお出かけはおあずけなので、気になっていた本をたくさん読むと決めています。

 

そんな私の気になる本リストにずっと入っていたけど、まだ読んでいなかったのがこれ。

『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著)

第164回芥川賞受賞作品です。

 

芥川賞で、私が最初に衝撃を受けたのは蛇にピアス』(金原ひとみ著)。

蛇にピアス』は著者が20歳で執筆した作品です。

私自身が19歳のときにこの作品を読んで、アングラな世界観に「20歳でこの作品が書けるなんて、この人はどんな人生を送っているんだろう」と地味な10代を過ごしていた私と見ている世界の違いにビビりまくった思い出があります。

 

『推し、燃ゆ』の作者、宇佐見りんさんは21歳。

10数年の時を経て、今度は10歳年下の芥川賞作品。

宇佐見りんさんはどんな世界をみているのでしょうか?

 

そんな『推し、燃ゆ』を読んでの感想を記事にしました。

 

 

『推しを推す』ことこそが人生の主人公を描く作品

この作品で描かれているのは『推しを推すこと』。

いわゆる『オタク』を描いた物語です。

 

私の友人にも推しを推している友人がいて、

CDやDVDや写真集は保存用と観賞用と貸出用に常に三つ買う。放送された番組はダビングして何度も観返す。溜まった言葉や行動は、すべて推しという人を解釈するためにあった。

こういった推しを推す人の行動はものすごく既視感を感じてしまいます。

 

主人公の「あかり」は推しを推すことには驚くほどの行動力を持っているのに、恐らく何かしらの病名がつくほど、日常生活がままならない女子高生です。

 

推しが炎上している最中に、「あかり」には高校中退など自分の人生にかかわる大きな出来事が降りかかりますが、あくまでも「推しを推す」ことが人生の中心です。

もし私の身に起きたら、「推しを推している場合じゃない」と思ってしまいそうな出来事さえも、まるで他人事のよう。

 

だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

この言葉が彼女のすべてを表しています。

 

推しを推さないあたしはあたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。

 

推しこそが人生だった「あかり」の推しが炎上するところから物語は始まり、芸能界を引退して推しを失うまでの「あかり」を描いた物語。

 

生きづらい日常を生きる女子高生、推しを推す姿、SNSでの炎上の描写がとてもリアルで、この時代の片隅で本当にあったノンフィクションのようにも感じます。

21歳の作者から見た現代のリアルをぎゅっと押し込めて物語にしたようです。

  

読んでみての感想

読む前の印象

私自身は『推し』を持たないタイプの人間です。

 

でも、「推しを推しまくっている」友人がいます。

『推し』のために「遠征する」といって地方のイベントに参加したり、会うたびにこっちの興味があろうとなかろうと、推しについてキラキラした目で話しまくる友人はいつもとても楽しそうで、実は結構うらやましいと思っていました。

 

人生の背骨になるくらい大好きなモノがあるのは、幸せそうだなと。

 

そんなキラキラした彼女たちのことは大好きだったので、この『推し、燃ゆ』ももっとポジティブな物語なのかと思って読み始めました。

 

主人公の情熱には共感出来ない。

 そしたら意外。

まさかの推しの炎上から始まってしまった。

(「推し、燃ゆ」ってそういうことか。)

 

私だったら「あかり」になんと言葉をかけようか・・・。

 

いや、全部を通して「あかり」にどんな言葉をかけたらいいのかわからない。

 

なぜならまず、人生の背骨になるほどの推しが自分にはいないので、「あかり」の推しへの情熱になんとも共感出来ないから。

そして、「あかり」を取り巻く「現実を生きなさい」というプレッシャーの方に共感してしまうからです。

 

家族はあかりに普通であって欲しいと思っている

現実社会を上手く渡り歩く努力もせず、ただ推しを推し続ける。

自分が親や姉なら、そんな姿は現実逃避の依存にしか見えないのもよくわかります。

 

「あかり」自身はうまく普通になれないことは自覚していて、普通になれるならなりたいと思ってはいる。

私自身も器用に生きてきた訳ではないので、その気持ちが分からないわけではありません。

自分が今「あかり」と同じ世代なら、「あかりが幸せならいいじゃないか、ほっといてあげなよ」と思ったかもしれないんですが・・・。

 

でも、別にこの「あかり」の家族も「あかり」に不幸になって欲しいから普通の生活を押し付けているわけじゃないのもわかるんですよね。

 

現実を生きる努力を放棄すれば待っているのは、衣食住を失うという、より現実的な不幸だから。

「あかり」に普通に幸せになって欲しいんです。

 

でも今の「あかり」にはそれが出来ない。

「 あかり」が上手に出来るのは推しを推すことだけ。

でもその推しも引退してしまい、あかりが推しのために出来ることは何も無くなってしまった。

 

その現実をあかりは最後に目の当たりにするのだけど。

 

読み終わって

うーーーーん。

読み終わっての感想は、「あかりの今後が気になる。どうか、幸せになっていてくれ!」です。

 

生きづらい現実と、そんなもの些細な事だと思わせてくれる推し。

「あかり」がこれをうまく両立できたらなら、きっと上手く現実も回っていったのに。

 

「働かない人は生きていけないんだよ。野生動物と同じで餌をとらなきゃ死ぬんだから」

「なら、死ぬ」

 

そんなあまりに極端な「あかり」自身にはあんまり共感はできなかったけど、 

  • 現実の生活はとてもストレスフルで生きづらいから推しに夢を見る。
  • でも推しを推す夢の中だけでは毎日を生きてはいけない。

そんなジレンマには大いに共感してしまいました。

 

「あかり」ほど極端ではないにしろ、現代社会ではこの生きづらさを抱えている人は少なくないからこそ多くの人がこの作品を手に取っているのだと思います。

 

人生の背骨を失ったあかりは今後どうやって生きていくのか、その行く末がとっても気になるところで物語は終わります。

 

もし続編がでるなら、「あかり」には現代社会の絶望に落ちずに、どうか幸せになっていて欲しい。

 

 若い作者と時代を大きく反映した作品

21歳という時代の最先端を生きている若者が描いた作品ということで、SNS文化が発達した時代をものすごく反映した描写が多数あり、帯の背表紙側の

「未来の考古学者に見つけてほしい

時代を見事に活写した傑作」朝井 リョウ

というのは「まさにだなぁ・・・。」という印象でした。

 

時代を反映した、若者が描いた作品といえば、ほかに私が思い浮かぶのは『インストール』(綿矢りさ著)です。

 

作者の綿矢りささんといえば、蹴りたい背中で19歳の芥川賞を受賞した、当時の「平成の若者」。冒頭で紹介した『蛇にピアス』作者の金原ひとみさんと同時に最年少で芥川賞を受賞された方です。

 

たしか、『インストール』を初めて読んだのは私が中学生のとき。

当時は匿名掲示板を舞台にした実話(?)「電車男」が流行り、インターネットでのコミュニケーションに注目が集まり始めた時代でした。

 

そんな時代を表現するかのように、インターネットで別人になりすましチャットをする物語『インストール』。(内容はちょっとうろ覚えです。15年以上前の記憶なので)

 

これもまさに当時の平成という時代の、コミュニケーションの方法が大きく変化し始めた時代の若者目線の小説だったという記憶があります。

 

10年後くらいにまた若い作者が現れてほしい

若い作家さんの作品を読むとその時代背景が見事に描写されていて、その時代の若者の世界観がありありと描かれています。

これが若い作家さんの作品の醍醐味ですね。

 

だからあと10年後、20年後にも、10~20代の芥川賞作家さんが表れてくれることを祈ります。

 

間違いなく時代のど真ん中にいる若者にしか、見ることのできない世界を表現しているだろうし、それを読んだもう若くなくなっている私はその世界観をどう思うのか。

時代はどう移り変わり、私は共感できるのかできないのか。

 

この本と読み比べても面白そうだと、10年後のささやかな楽しみにしています。

 

おうち時間にコレも読みたい

せっかく時間があるので、ものすごく久しぶりに

も読んでみたくなりました。

ちょっとこの後購入してきます。

 

 

これから『推し、燃ゆ』を読む方も、もう読んだって方もこちらの作品も一緒に読んでみてはいかがでしょうか。

その時代にはその時代の若者なりの考え方や生き方があるのを、読み比べてみても面白いと思います。

 

 

それではこのへんで。

ふくろうでした。

 

 

今週のお題「おうち時間2021」